「なぜ我妻は、実の妹まで撃ったのか」。この映画を観終えた人が、真っ先に引っかかるのがここです。
後味の悪さだけが残って、結末の意味をつかみきれないままの方も多いのではないでしょうか。
『その男、凶暴につき』は1989年8月12日公開、上映時間103分。北野武の映画初監督作です。
実はこの作品、当初は深作欣二が監督する予定でした。その交代劇を知ると、あの突き放したような幕切れの理由が一気に見えてきます。
そこで今回は、ネタバレなしのあらすじから結末の意味、監督交代の真相、いま観られる配信状況までまとめて解説します。
結末に触れる見出しには【ネタバレ】と明記しました。未見の方はその手前まで、観終えた方はぜひ最後まで読んでみてください。
『その男、凶暴につき』はどんな映画?
捜査のためなら暴力をためらわない刑事が、麻薬組織を追ううちに立場も家族も失っていく話です。
派手なアクションではなく、乾いた暴力と沈黙で押し切るタイプの一本です。
「その男凶暴につき」「この男凶暴につき」との違い
正式表記は読点入りの『その男、凶暴につき』です。検索では読点を抜いた「その男凶暴につき」もよく使われますが、指す作品は同じものです。
「この男凶暴につき」という表記で探す人もいますが、これも本作を指しているケースがほとんどです。作品名としては「その男」が正しい表記になります。
作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式表記 | その男、凶暴につき(読点あり) |
| 公開日 | 1989年8月12日 |
| 上映時間 | 103分 |
| 監督 | 北野武 |
| 脚本 | 野沢尚 |
| 撮影 | 佐々木原保志 |
| 音楽 | 久米大作 |
| 製作・原案 | 奥山和由 |
| 配給 | 松竹富士 |
| 挿入歌 | トレイシー「ガール・ユー・ニード」 |
宣伝ポスターは「主演・監督ビートたけし」、本編クレジットは「監督 北野武」と表記が分かれています。興行上の判断によるものとされます。
主なキャスト
- 我妻諒介(刑事):ビートたけし
- 清弘(殺し屋):白竜
- 灯(我妻の妹):川上麻衣子
- 仁藤(黒幕の実業家):岸部一徳
- 新開(仁藤の側近):吉澤健
- 岩城(防犯課係長):平泉成
- 菊地(新人刑事):芦川誠
- 柄本(麻薬の売人):遠藤憲一
- 吉成(署長):佐野史郎
- 織田(清弘の手下):寺島進
清弘の手下・織田を演じているのが、若き日の寺島進です。後年の北野作品常連ぶりを思うと感慨があります。
※新人刑事役の姓は資料により「菊地」「菊池」の表記ゆれがあります。

あらすじ|どこで歯車が狂ったのか
物語は「凶暴な刑事の日常」から始まり、麻薬組織との私闘へ転がり落ちていきます。
ここでは結末に触れない範囲で、時系列に沿って整理します。
起承:暴力的な刑事と、親友の死
港南署の刑事・我妻諒介は、ホームレスを襲った少年の自宅へ押し入り、暴行によって自首を強要します。一方で、退院した妹・灯を引き取って面倒をみる姿も描かれます。
やがて麻薬の売人・柄本が清弘に殺され、我妻は新人刑事・菊地と捜査を開始。押収した麻薬を横流ししていたのが親友で防犯課係長の岩城だと判明しますが、岩城は自殺に見せかけて殺されます。
転:妹の拉致、そして免職
清弘の手下たちは、我妻の妹と知らずに灯を連れ去り、監禁して麻薬を打ちました。
激昂した我妻は清弘へ暴力を加え、この一件と従来の素行を理由に警察の職を失います。バッジも令状も後ろ盾もない状態で、彼は黒幕の仁藤のもとへ向かいました。
組織側でも暴走した清弘を切る話が進んでおり、追う側と追われる側の双方が崩れていく構図が終盤の緊張を作っています。
【ネタバレ】結末はどうなる?我妻は最後どうなる?
我妻は仁藤・清弘・妹の灯を撃ったのち、自身も新開に撃たれて死亡します。
正義が勝つ結末でも、悪が滅びる結末でもありません。
我妻が撃った3人は誰か
我妻が撃つのは、次の3人です。
- ①仁藤(岸部一徳):麻薬組織の黒幕である実業家
- ②清弘(白竜):仁藤に雇われた殺し屋
- ③灯(川上麻衣子):麻薬漬けにされた我妻の妹
この時点で我妻はすでに警察を追われており、捜査ではなく私的な制裁として動いています。
なぜ妹・灯を撃つことになったのか
灯は監禁されたうえで麻薬を打たれ、変わり果てた姿になっていました。倒れた清弘のほうへ近寄っていく灯を見た我妻は、妹に向けて引き金を引きます。
守るために戦っていたはずの相手を、自分の手で終わらせる。復讐の動機そのものが消える場面だと筆者は考えています。
我妻を撃ったのは誰か、そのあと何が起きるか
我妻を撃つのは、仁藤の側近だった新開です。
新開は仁藤の跡を継ぐ形で組織を引き継ぎ、我妻の相棒だった若手刑事の菊地を自分の側へ取り込みます。
主人公が死んでも席は埋まり、組織は回り続ける。後味の重さを決めているのは、この幕切れの数カットだと考えています。

なぜ監督が深作欣二から北野武に代わった?
本作はもともと深作欣二が監督する企画で、降板を受けて主演のビートたけしが監督を兼ねました。
北野武の作家性は、この偶然から始まっています。
出発点は別企画だった
プロデューサーの奥山和由が語るところによれば、企画の出発点は佐木隆三のノンフィクション小説『旅人たちの南十字星』の映画化でした。
深作欣二監督・神波史男脚本、主演はビートたけしと陣内孝則という布陣で脚本も完成していたものの、クランクイン直前のフライデー襲撃事件で流れます。その後、内容は刑事ものへと変更されました。
撮影方針の食い違いで深作が降板
奥山の証言では、本番前にテストを重ねる深作の手法と、一発撮りを求めるたけしの主張が折り合わなかったとされています。一方の深作自身は、路線への迷いからスケジュールを逸したと説明しています。
筆者はこの食い違いこそ本作の性格を言い当てていると考えます。段取りを積む演出家と、段取りを嫌う演者。その断絶が画面の「撮り直さない粗さ」になりました。
野沢尚の脚本はどう扱われたのか
たけしは脚本の書き直しを条件に監督を引き受け、野沢尚の脚本を大幅に改変しました。
野沢はこの改変に納得できず、雑誌のアンケートで「変えられる前の『その男、凶暴につき』」と記したと伝えられています。ただし妹を撃つクライマックスの発想については、野沢自身が評価していたとされます。
野沢尚が書いた『烈火の月』
野沢は2004年、自身のオリジナル脚本をもとにした長編小説『烈火の月』を発表しました。
初出は週刊誌連載で、映画化前のシナリオに沿った内容とされます。脚本家が自分の側の決着をつけた一冊として、映画と読み比べる価値があります。
タイトルとキャッチコピーの意味は?
タイトルもキャッチコピーも、作品内容から生まれた言葉ではありません。どちらも外から持ち込まれています。
タイトルはハードボイルド小説からの流用
『その男、凶暴につき』は、ジェイムズ・ハドリー・チェイスの小説の邦題(佐和誠訳、1972年)を流用したものです。
物語の内容と直接の関係はなく、響きの強さで選ばれた言葉だと考えられます。
「コドモには、見せるな。」の由来
このコピーは、プロデューサーの奥山和由が付けたものです。
当時の出資元だったバンダイのキャッチコピー「母と子のバンダイ」への当てつけでもあった、と奥山は語っています。宣伝文句が業界内のやり取りから生まれている点は、いかにも本作らしい経緯です。
公開当時の評価は?
商業的には堅実、批評的には高評価という受け止められ方でした。新人監督の作品としては珍しい反応です。
興行成績と映画賞
配給収入は5億円と記録されています(キネマ旬報の年間配給収入資料による)。
映画賞では第11回ヨコハマ映画祭で監督賞を受賞し、同映画祭の日本映画ベストテン第2位。キネマ旬報ベスト・テンでは、第63回(1989年度)日本映画第8位に入りました。
批評家はどう見たか
評論家の山根貞男は、有名人の新人監督のひとりと見くびっていたが徹底した暴力描写に驚かされたとして、その才能を評価しています。
映画史研究家の春日太一は、叙情性や劇的な盛り上がりを排した冷たいタッチと、作り物でない暴力性を印象の理由に挙げました。降板した深作欣二も、完成作を面白かったと語ったと伝えられています。
筆者は春日の指摘に同意しますが、「冷たい」というより感情の温度を上げる手続きを省いた結果だと考えています。
どこで見れる?配信・レンタル状況
2026年7月時点の各種調査では、主要な定額配信サービスでの見放題配信は確認されておらず、DVDのレンタル・購入が中心です。
過去にレンタル配信が行われた時期もありましたが、権利関係により取り扱いは変動します。
視聴前に、各配信サービスの公式ページで最新の状況をご確認ください。
誰に合う?観る前に知っておきたい注意点は?
刺激の強い描写が多く、万人向けの作品ではありません。一方で、乾いた語り口を好む人には強く刺さります。
描写の強さと年齢制限について
暴力描写に加え、薬物の使用場面があり、性暴力を思わせる描写も含まれます。直接的に見せる撮り方ではありませんが、受け取る負荷は小さくありません。
年齢区分は媒体や版によって表示が異なる場合があるため、購入・レンタル時の表示を確認するのが確実です。体調がすぐれないときや、家族での鑑賞には向きません。
こんな気分の人に刺さる/合わない人
説明ゼリフの少ない映画、感情を煽らない演出を好む人には強く響きます。逆に、スカッとする決着を求めている夜には不向きです。
北野作品が初めてなら、『HANA-BI』や『ソナチネ』から入るほうが入口としては優しいでしょう。
筆者の考察|デビュー作の時点で完成していた「間」
ここからは筆者の私見です。本作が35年以上語られ続けるのは、暴力そのものより「暴力の前後の時間」を撮っていたからだと考えています。
なぜ歩く時間をこれほど残したのか
冒頭、少年たちの暴行のあと、我妻が暗がりからゆっくり歩いてくるカットが切り返しもなしに続きます。台詞はなく、足音だけが残る時間です。
普通の刑事映画なら削る移動時間を、この映画は残す。その余白が、我妻という男の得体の知れなさを作っていると見ています。
なぜ音を盛らないのか
感情を誘導するBGMがほとんど鳴りません。終盤の銃声も反響を足して膨らませず、乾いた一発として置かれます。
だからこそ、静けさから暴力へ切り替わる瞬間の落差が突き刺さります。音を足さないことが、いちばん強い演出になっている珍しい例です。
後年の北野作品と何が違うのか
この「間」と乾いた音の設計は、『ソナチネ』(1993年)や『HANA-BI』(1998年)に受け継がれます。
ただし後年の2作には海や絵画といった逃げ場があり、静けさが叙情に転じました。本作にはそれがなく、『アウトレイジ』(2010年)に近い身も蓋もなさで終わります。
灯というキャラクターをどう読むか
終盤、灯は兄ではなく清弘のほうへ向かいます。
これを残酷と受け取るか、薬物が人を作り替えてしまう恐ろしさの表現と受け取るかで、作品の印象は大きく変わります。筆者は後者だと考えています。
いま観る意味はどこにあるのか
北野武は近年、『首』(2023年)のように大作の枠で暴力を撮る立場になりました。その現在地から振り返ると、本作の粗さは弱点ではなく方法だったと分かります。
今後この作品は「たけしの初監督作」という話題性よりも、日本映画が暴力の撮り方を切り替えた地点として語られていくのではないか。個人的には、そう見ています。
まとめ
『その男、凶暴につき』は、免職された刑事・我妻が麻薬組織に単身挑み、黒幕と殺し屋、そして薬物漬けにされた妹まで撃ったのち、自らも撃たれて終わる作品です。
1989年8月12日公開、103分。深作欣二の降板を受け、北野武が初メガホンを取りました。
勧善懲悪を拒む乾いた視点は、この一作目ですでに完成しています。刺激の強い描写が多いため、体調と時間を整えて向き合ってほしい一本です。
よくある質問
『その男、凶暴につき』は実話ですか?
映画本編は実話ではありません。ただし企画の出発点は、佐木隆三のノンフィクション小説『旅人たちの南十字星』の映画化でした。その企画が流れたあと、内容が刑事ものへ変更されています。
タイトルにはどんな意味がありますか?
作品オリジナルの言葉ではなく、ジェイムズ・ハドリー・チェイスの小説の邦題を流用したものです。物語の内容と直接の関係はありません。
どこで配信されていますか?
2026年7月時点では主要な定額配信サービスでの見放題配信は確認されておらず、DVDのレンタル・購入が中心です。取り扱いは変動するため、各サービスの公式ページで最新情報をご確認ください。
北野武作品はどの順番で観るとよいですか?
決まりはありません。筆者の見解としては、初めてなら『HANA-BI』や『ソナチネ』のほうが入りやすく、そのあとに本作へ戻ると「間」の意図が分かりやすいと感じます。